管理者がグーグルマイマップで作成。
黄色ピンは米騒動発生地近辺。
黒ピンは米騒動関連(宇部の米騒動出動等)の山口県庁、陸軍山口歩兵第四十二連隊、陸軍歩兵第二十一旅団司令部、日本赤十字社山口支部の位置。
山口町では次の4回の記事がある。(以下に①~④の典拠の新聞記事)
①町内で米屋襲撃の「不穏の模様」があり、警察は13日、米仲買人、米小売商に暴利を得ないよう警告した。
②15日夜に2名が電話で米商を脅迫し、2名は脅迫罪で有罪となった。
③16日午後8時ころより、山口高商運動場一帯に約2千余名が集まり、10時頃解散した。
④16日夜に町内各所に貼紙をした4名が警察犯処罰令で拘留7日に処された。(③と関連か)
①《馬関毎日新聞大正7年8月14日》「●山口警察署の米商警告 〇〇〇〇の不穏 米商の安賣開始」。一部抜粋(〇〇〇〇は地名)。
「〇〇〇〇に於ては米屋を襲撃せんとする不穏の模様さへあるより目下厳重に警戒せる為め幸に無事なるが同署は十三日午前十時米仲買人及び米小賣商二十九名を召喚し暴利を貪らざる様警告を與へたり」
③《『大阪朝日新聞』大正7年8月19日朝刊7面》「▼山口町」
「山口縣山口町にては十六日朝來巡査教習所生徒の應援隊及び管内全部の巡査を召集して警戒に努めたるが午後八時頃より高商運動場附近一帯は非常の人出となり約二千餘名に及びたるが警戒の嚴重なると主動者無きため何事をもなさず十時頃退散せり」
④《防長新聞大正7年8月20日》「●貼紙者取調 ▽四人は逮捕さる」。一部抜粋。
「四名は去十六日人心を煽動すべき貼紙をなしたるため一同山口署の手に取押へられ目下勾留に処し引続き取調中なるが尚ほ此外にも連累者あり近く検挙されるさるる模様なり」
②《關門日日新聞大正7年8月20日》「▲山口町▲電話で恐喝 直に引致さる」。要約。
15日夜、大工(10代)と石工の長男(20代)が山口町内の各米屋に米を20銭若しくは25銭にせよと電話で申し込み、承諾しなければここに150名いるので押しかけると脅迫して引致された。
④《同上》。「▲暴徒集合の貼紙して 拘留七日宛」。要約。
16日夜山口町各所に暴徒集合の貼紙をした四名が「警察犯處罰令にて拘留七日宛に處す」。
30代2名。40代1名。60代1名。
桶職兼大工職1名。大工職1名。時計修繕職1名。木賃宿内縁夫1名。
国立公文書館アジア歴史資料センター「米価問題に付騒擾の件2止(14)」(レファレンスコードc08021485500)の「騒擾事件調査票」55~82ページ(番号1527~1554)。次の表は、この史料の中の「騒擾犯人身位別表」(70ページ)です。
②《8月15日夜の脅迫事件》
『關門日日新聞』1918.9.13付。要約
米屋〇〇、〇〇等に電話。米を安くしなければここに二三百居るぞと脅迫。
控訴、山口裁判所全判決取り消し。脅迫・懲役3月2名。石工職、大工職。