山口県内の史料で確認できる米騒動発生地を市町村別に取り上げています。
管理者は、『米騒動の研究』の類型を基準にして、山口県の米騒動発生地を1市9町23村としました。
「騒擾事件調査票」(「検事処分・裁判の概要」のページに掲載)に記載されている21町村は、詳細が不明な町村もありますが、すべて米騒動発生地としました。
「県知事報告」・「新聞記事」で貼紙・集会のみが記載されて街頭の騒動に至らなかった町村も、『米騒動の研究』の類型を基準に米騒動発生地としています。
また、「(7)その他」は、「不穏」、「村民大会」など米騒動に近い動きのあった町村を取り上げています。さらに、勤労者にとって米価高騰の影響が大きかったため、(1)~(7)以外にも、史料には表れていないものの不穏な状況が生まれていた町村があったと推察します。
画像はすべて管理者が撮影したものです。米騒動発生地に関連する情報や発生地周辺の文化財、観光スポット、政治・社会問題も紹介しています。
管理者作成。
大正七年(1918)米騒動の直接的な原因は、米価が急騰する中で賃金値上げが抑制されたために、米を買って生活する零細自営業者・勤労者・細民層の生活が破壊されたことです。大戦景気で国民所得は増大し、株主や地主などの富豪はその利益を享受しました。しかし、米価上昇に賃金上昇が伴わず、勤労層との経済格差が拡大していたことが米騒動の背景にありました。グラフから山口県でも1918年は米価と賃金の差が拡大していたことが確認できます。
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