日良居村は、中央部の土居地区、西側の日前(ひくま)地区、東側の由良(ゆら)地区からなり各1字をとって日良居村となった。
日良居村は、以下の『關門日日新聞』の記事に「張紙」、『馬關毎日新聞』の記事に「集會」があったことが記載されていますので米騒動発生地とします。
日良居村には「騒擾事件調査票」に記載された検事処分者はありません。
≪防長新聞大正7年8月22日≫「●暴動餘聞 ▲日良居」
「十八日夜日良居村も不穏の状ありしが坪倉署長の措置宜敷を鎮静せり但し米價四十二銭なるより久賀町の値段と同一に引下方米商と交渉中なりと」
≪馬關毎日新聞大正7年8月25日≫「●未だ不安なる大島郡 安下庄の檢擧者二百餘名 ▲米は町役場で販賣せよと言ひ▲諸物價をも引下げよと叫ぶ」。抜粋。
「△日良居村」にても何となく騒々しく二十二日午後七時〇〇〇〇〇〇は安下庄暴動残類の應援の下に米商を破壊すると聲言し各所に集會協議し又は一團となり街路を通行する等不穏なりしが村長、縣會議員等の奔走あり二十三日〇〇〇全部會合し其要求に應ずることゝなりて一段落を告げたり」
≪馬關毎日新聞大正7年9月3日≫「●郡會議長等を組外しにした大嶋郡日良居村民◇米騒動に流言蜚語をなしたとて◇」久賀電報。記事略。
『關門日日新聞』大正7年9月16日。「●大島郡日良居村の 暴動煽動者 =郡會議長と判明す=」。要約、()は引用。
多額の負債に苦しむ郡會議長が17日に手なづけた2名に部落の3か所に(米を安く喰はんとするものは〇〇寺に集まれ)と書いた張紙をさせ、18日の安下庄の焼打ちに(ヤルナラシツカリヤレ)と恐怖の念を起こし、19日に債権者を脅迫し、米商を脅迫して安売りを実行させ、20日には全部落で日用品の3割引きの安売りを実行させた。19日は部民の協議中、2名が乗り込み〇〇氏に暴行した。3名取り調べの上一件書類を13日岩国検事局に送致。