平生町は熊毛郡(現在の光市を含む)の中心地で、郡役所や警察署がありました。
山陽線の敷設に反対して鉄道の駅が設置がされなかったことがその後の町の発展に影響したと考えます。同様の事例は、厚狭郡の中心地であった船木町にもみられます。反対を説得できる先見性や決断力のあるリーダーの存在の重要性を示しているのではないでしょうか。
史料は以下の県知事報告だけで詳細は不明です。
平生町では、「騒擾事件調査票」に記載された検事処分者はありません。県知事報告で、「貼紙」にとどまる米騒動であった可能性があります。
米騒動発生地とするかどうかは微妙ですが、『米騒動の研究』の分類の定義に従い、「貼紙」がありますので、米騒動発生地としました。
アジア歴史資料センターB08090136700『大正七年七月ニ於ケル米騒擾ニ関スル件』≪山口県知事電報≫8月13日。茶色の輪郭は管理者が付けた。(画像をクリックすると拡大します。)
8月13日午後5時15分発の山口県知事電報に貼紙があったことが報告されている。貼紙の内容とその後の状況が不明であり、検事処分もなく、他の史料での確認ができない。『米騒動の研究』では貼紙は米騒動の発生地に分類されている。
『山口県史 通史編 近代』808頁、「表3-7-3 米価問題をめぐる騒擾」(大正7年8月)では「熊毛郡平生町」を騒擾発生地として記載しているものの、「騒擾」や街頭の行動の発生は、管見の限り史料での確認はできない。