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≪防長新聞大正七年八月二十日≫岩国町 柳井の第二回事件と呼応して騒ぎ立ちたるも内巨魁と認むべき者一名を騒擾罪として拘束し他は直ちに解散せり玖珂郡麻里布村にも岩国と時を同うして群集蜂起し示威運動を試めるも之亦直ちに解散せり
国立公文書館アジア歴史資料センター「米価問題に付騒擾の件2止(14)」(レファレンスコードc08021485500)の「騒擾事件調査票」55~82ページ(番号1527~1554)。次の表は、この史料の中の「騒擾犯人身位別表」(70ページ)です。
『關門日日新聞』大正7年9月19日。「●岩國裁判所に於ける 米騒動の公判 騒擾を種に私腹を肥す曲者檢事より懲役二年求刑さる」。要約。
玖珂村、目下広島市外の牛乳搾取雇人は8月14日午後7時頃、鈴木商店が焼き討ちされた神戸から救助に来たと演説して野次馬を集め群集を指揮して米店に安売りを揚言して10円を旅費として強請し、酒店では酒価を下げるよう申し込み5円を強請し群集を煽動した。
『馬関毎日新聞』大正7年9月20日。「●米騒動煽動者 裁判言渡 一年二カ月に」。略。