太華村

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新聞報道

《大阪朝日新聞大正7年8月18日》

「16日午後九時過ぎ山口縣都濃郡大華村字桂ヶ濵(註:太華村字櫛ケ浜が正しい)漁民約二百名同町に集合し商店を襲ひ脅迫的言辭を用ひたる模樣あり所轄署長は直に出張首謀者五名を検擧逮捕し群衆は退散せり」(十七日夜内務省発表)

 

≪馬關毎日新聞大正7年8月20日≫「▲縣下の騒擾 櫛ヶ濱 八百の漁民荒る」。

「都濃郡太華村櫛ヶ浜に於て十六日夜九時頃何者か中町の半鐘を亂打したるより立所に八百餘の漁民集まり本町通り〇〇米商店を打破り次で〇〇酒場を襲い惨憺たる暴行を極めつゝある所へ徳山署より警官数名出張し嫌疑者五名を取押へ目下取調中」。

 

≪防長新聞大正7年8月20日≫「●縣内の騒動(中略)△其他」。

「都濃郡太華村にては十六日夜同じく不穏の形勢あり警察の手にて五名の首謀者を捕へ他は直ちに解散し熊毛郡田布施町にては十七日夜富海にては十五日夜何れも米騒動と認むべき事件ありしが極めて些少にて何事も為さゝりし如く下関にては十六日夜米価問題に関し大演説を試み形勢不穏なりしも其場にて解散せしめられ事に事なきを得たり」

山口県知事報告

アジア歴史資料センターB08090136700『大正七年七月ニ於ケル米騒擾ニ関スル件』≪山口県知事電報≫8月17日。茶色の輪郭は管理者が付けた。

 

 

司法

騒擾事件調査票

国立公文書館アジア歴史資料センター「米価問題に付騒擾の件2止(14)」(レファレンスコードc08021485500)の「騒擾事件調査票」55~82ページ(番号1527~1554)。次の表は、この史料の中の「騒擾犯人身位別表」(70ページ)です。

 山口県内の騒擾事件で検事処分を受けた人数は、①宇部村、②安下庄(あげのしょう)町、③向津具(むかつく)村、④富海(とのみ)村、⑤須恵村、⑥八坂(やさか)村、⑦太華(たいか)村(13名)、⑨出雲(いずも)村、⑩中関(なかのせき)村の順です。職業別では、米の消費者の鉱夫、漁業従事者が多く、米価高騰が契機となって賃上げや廉売・寄付金要求の騒動が発生しました。

2022.12.21更新

裁判

〇『關門日日新聞』

≪大正7年9月6日≫「●櫛ヶ濱米騒動主謀者五名 山口監獄に送らる

徳山区裁判所検事の取調終了。4日午前9時半発列車で山口監獄送致。

≪大正7年10月20日≫「●太華村騒擾事件 豫審決定十二名有罪」。要約

都濃郡太華村大字櫛ヶ浜。予審終結決定。

8月16日夜。米問題につき協議波止場集合を布れ廻り清蔵半鐘乱打同夜七八時ころ集合。銀七、清三郎は約三百人の群衆に対し扇動、米穀商野村方1升27銭廉売承諾さす。雑貨商中山方、酒造業富永方、肥料商兼質商山本方で廉米の寄付金強要、嘉一、銀七、清三郎、清兵衛、喜平、藤吉、栄助の6人は中山、山本100円、富永500円の寄付の証書を交附せしめ、引き続き12時頃まで呉服商兒玉方、醤油製造業松本方、郵便局長竹島方、雑貨商野村方、酒造業村井方に押し寄せ恐喝、前4者より10円、村井より500円の寄付証書を交附させようとして警官に検挙。

騒擾罪首魁6名、指揮・率先助勢5名、附和随行1名公判起訴。

 

〇『馬關毎日新聞』

≪大正7年9月6日≫「●暴動首謀者送らる 太華村民哀願」記事略。

 

≪大正7年10月18日≫「●太華村米暴動の豫審 十六日決定」。要約

10月16日予審終結、13名公判へ。10代1名。20代2名。30代5名。40代5名。

煮干商1名。海産物問屋1名。漁業兼魚商1名。漁商兼仲仕1名。魚商2名。会社雇人1名。魚市場雇人1名。漁業5名。

 

≪大正7年11月23日≫「●太華村米暴動の公判」。要約。

13名。21日午前10時より公判。22日引き続き公判。

 

≪大正7年11月24日≫「都濃郡太華村●米暴動公判 檢事の求刑は最重懲役三年」。要約。

22日午後1時より求刑。判決30日。

求刑・・懲役3年1名。懲役2年6月1名。懲役2年2名。懲役1年6月3名。懲役8月1名。懲役7月3名。懲役6月1名。罰金30円1名。

 

〇『防長新聞』

≪大正7年9月2日≫「●太華の暴徒▽又復十數名檢擧」。記事略

 

≪大正7年10月20日≫「●太華暴動豫審」。要約。

13名予審終結有罪。8月16日、隣町の徳山町は有志家らが米の廉売をしているのに、▽居村の有資家はしていないとして、7名等は首魁となり、駐在巡査の不在に乗じ、米問題に付き協議するので櫛ヶ浜波止場に集合する旨触れ回り、午後7、8時頃同波止場並びに非常報知用半鐘臺付近に多数参集させた。〇〇は半鐘を乱打して率先助勢し、〇〇〇〇〇両名は有志家に米の廉売を求めるので▽賛成者は随行せよと煽動し、米商に1升27銭で28表の廉売を承諾させ、雑貨商100円、酒造業500円、肥料商100円に寄付金の証文を恐喝交付させた。同夜12時ころまでの間に、呉服商、醤油製造業、郵便局長、雑貨商から各10圓、酒造業から500円を▽寄付すべき旨の証書を交付させようとする際、警察官に検挙されてその目的を達しなかった。〇〇は群集に率先してヤレヤレと連呼して助勢し、〇〇は群集に率先して早く決めよと怒号し、〇〇は群集に率先して親父を出せ早く出さぬと打ち毀すと怒号して助勢し、〇〇は群集に附和随行し、群集が米穀商に押し寄せて石を投じて雨戸、瓦を破壊した際に〇〇は竹棒で表雨樋を叩き、米を安く売れ売れと連呼して率先助勢した。

 

≪大正7年12月1日≫「●櫛ヶ浜の 米騒動判決 ◆何れも有罪を言渡さる」。要約。

判決大正7年11月30日。( )内は求刑。

懲役2年6月1名40代(3年)。懲役2年2名30代(2年6月、2年)。懲役1年8月1名30代(1年6月)。懲役1年6月2名40代(2年)。懲役1年1名40代(1年6月)。懲役8月1名30代(8月)懲役6月4名、40代1名、30代1名、20代2名(7月3名。6月1名)。罰金30円1名(30円)。

 

周辺の風景

太華村・櫛ヶ浜漁港(大島半島太華山側)・管理者撮影以下3画像。
太華村・櫛ヶ浜漁港(大島半島太華山側)・管理者撮影以下3画像。
太華村の漁港波止場にある蛭子神社
太華村の漁港波止場にある蛭子神社
太華村の漁港・周南コンビナート側
太華村の漁港・周南コンビナート側