詳細不明。
以下の「騒擾事件調査票」で末武北村は「騒擾地」とされ、「検事処分人員」が2名あったと記録されている。先行研究では、末武北村の米騒動発生を指摘した研究はなく、周防村と同様に「騒擾事件調査票」の他に史料は確認されていない。『下松市史』でも下松市域では米騒動はなかったと記述している。当HPでは「騒擾事件調査票」の記載地は米騒動発生地とした。
国立公文書館アジア歴史資料センター「米価問題に付騒擾の件2止(14)」(レファレンスコードc08021485500)の「騒擾事件調査票」55~82ページ(番号1527~1554)。次の表は、この史料の中の「騒擾犯人身位別表」(70ページ)です。(これまでの研究で米騒動の発生地と指摘されていなかった3村に管理者が茶色の輪郭を付けています。)
「下松地域の米騒動は騒動にまで至っていない。だが各地でみられるように米価騰貴による脅迫やデマなど不穏な動きはあったであろう」と記述している。「不穏な動き」があったと推察される典拠やその内容は記されていない。