管理者がグーグルマイマップで作成。朱色のピンは労働争議発生地。
大島半島(太華山のある半島)は、現在も狭い水路で隔てられており、陸続きではなく島なので大島(相島)とよばれていた(朱色のライン。画像を拡大すると大島半島が島であることが確認できます)。
『山口県史 通史編 近代』808頁の「表3-7-3」は、日本金属徳山製錬所の所在地を「都濃郡徳山町」としているが「都濃郡太華村」の誤りである。尚、同県史は、同表の別の記載に差別的用語が使用されており、2か所の差別的記載の書き換えを中心に訂正・追記が行われて前掲書は再配付された(内部リンク・クリック)。しかし、再配付版でも日本金属徳山製錬所の所在地は旧版の「徳山町」のままで訂正されていない。
「表3-7-3」の徳山町とする典拠は、『馬關毎日新聞』(8月24日付。以下に引用)になっている。この新聞記事は、「徳山灣内大島半島奈切なる日本金屬株式會社徳山製錬所職工」とあり「徳山町」の記載はない。県史の執筆者が「徳山湾」を「徳山町」と思い込んで記載したと考えられ、校正もされなかったと推察される。太華村は櫛ヶ浜村・粟屋村・大島村・粭島が合併してできた村で、大島半島には粟屋村と大島村があった。奈切は旧粟屋村の地域にある。日本金属徳山製錬所(米騒動時は鈴木商店資本)は、旧大島村の打上(うちあげ)地区に所在しており、日本金属が「大島半島奈切」に所在したという記載は誤記である。
徳山湾は、前図と次図からわかるように、米騒動時には、都濃郡徳山町だけでなく、久米村、太華村、大津島村、富田町に囲まれた湾だった。
徳山製錬所の所在地は、『防長新聞』8月24日付では「都濃郡太華村字大島打上」(正確には、都濃郡太華村大字大島字打上)とあり、『關門日日新聞』8月24日付には所在地の記載がなく、『大阪朝日新聞』8月24日付では「周防徳山灣内大島半島名切なる・・・(徳山電報)」とある。
周南地域に土地勘があれば所在地が「太華村大島」であることは自明であり、土地勘がなくても『防長新聞』の記事を執筆者と校正者が確認しておれば防げたミスではなかったか。
日本金属徳山製錬所は「打上」(旧大島村)にあり、「奈切」(旧粟屋村)も大島半島にある小字で、ともに当時は太華村であり、徳山町ではない。
2020.8.31追加画像
周南市奈切にある徳山興産(株)奈切工場です。正門を入ったところに、右上の画像のモニュメントがあり、大正7年(1918)に大阪鉄板製造徳山分工場が竣工した時に、鋼板工場に取り付けられていた「月星マーク」が展示されています。
大阪鉄板製造(日新製鋼の前身、現在の日鉄日新製鋼株式会社)の徳山分工場の所在地が奈切であったかどうかは明確ではありませんが、大阪鉄板製造(「月星マーク」)に経営参加しているのは岩井商店(のちの日商岩井、現在の双日)です。
以下の新聞の労働争議・米騒動の発生場所は、すべて日本金属株式会社徳山精錬所となっており、『關門日日』・『大阪朝日』に記載されているように鈴木商店資本です。
したがって、工場名・経営関係からみても、日本金属株式会社徳山精錬所が太華村奈切に所在したと記載した、以下の『馬關毎日』・『大阪朝日』の記事は誤りと考えます。
また、『山口県史 通史編 近代』808頁「表3-7-3」が日本金属徳山精錬所の所在地を「徳山町」としているのは誤りです。(2019.11.11追記)
〈8月20~22日労働争議〉
《防長新聞大正7年8月24日》「●アハヤ暴動 ▽職工百餘名米穀商を▽襲い亂暴せんとす」。
「都濃郡太華村字大島打上日本金属株式會社徳山製煉所人夫百餘名は廿日午後十一時同村海岸に参集し賃銀値上げの要求を決議し更に示威運動のため同港の米穀商を襲ひ亂暴をなす形勢あるより篠田徳山署長は現場に赴き鎮撫し主謀者六名を徳山署に引致取調中なり」
《關門日日新聞大正7年8月24日》「●徳山製錬 職工罷業 増賃金を迫る」。要旨、「」は引用。
日本金属株式会社徳山製錬所の職工全部70余名は諸物価暴騰のため21日夜勤より同盟罷業し増賃金を要求した。22日も作業せず「形勢何となく不穏の兆ありとの事に」徳山警察署長、巡査10余名で急行して説諭し、首謀者など10名を本署に引致し、とりあえず警察犯処罰令にて勾留し、23日早朝より取り調べに着手した。職工らに対する増給額は今明日中に下関鈴木支店が発表の手筈であり、23日より平常の就業となったが、「時節柄の事とて一時は一般に憂慮せられたり」。
《馬關毎日新聞大正7年8月24日》「●製煉所同盟罷工 賃金値上げの要求 △間もなく鎮定、十名引致さる」。
抜粋「徳山灣内大島半島奈切なる日本金屬株式會社徳山製錬所職工七百名」、「廿一日夜勤より」、「〇〇代之吉以下十名を引致し」。
《大阪朝日新聞大正7年8月24日》「盟休の主謀者拘引さる 鈴木亜鉛工場」徳山電報。
抜粋「周防徳山灣内大島半島名切なる」、「二十一日より」、「鈴木亞鉛工場職工七百名」、「〇〇與佐吉外十名徳山署に引致され」(徳山電報)。
(註 「名切」は「奈切」の誤まり。「奈切」も「打上」の誤りなのでダブルミス。徳山からの電報による記事で独自取材がないために誤報したと考える。)
《4紙に記載》
この労働争議は地域紙3紙だけでなく、『大阪朝日新聞』も記事にしている。この工場が鈴木商店資本であったので新聞・世論の関心が高かったのであろう。
同盟罷業の参加人員は各紙で相違しており、職工全部70余名(1紙)、人夫100余名(1紙)、700名(2紙)と記されている。争議の日は、20日午後11時(1紙)、21日より(1紙)、21日夜勤より(2紙)がある。徳山署への引致者は、10名(3紙)、6名(1紙)の記載がある。(徳山町の検事処分者はありません。)
『防長新聞』には「示威運動のため同港の米穀商を襲ひ亂暴をなす形勢あるより」とあり、労働争議が米騒動に発展したと考え、管理者が米騒動発生地と判断した。
《治安警察法違反(ストライキ扇動)・起訴者なし》
徳山精錬所の労働争議は5人が治安警察法第17条で検挙されましたが、不起訴でした。次は秋田成就「戦前における我国労働争議調停制度の機能と展開(1)」『法政大学学術機関リポジトリ』に掲載された内務省警保局の資料からの転写です。
労働争議が米騒動に展開した場合は、一般的に騒擾罪が適用されます。当局は、労働争議の色彩が強いと判断し、同盟罷業(ストライキ)の扇動者としており、治安警察法第17条(ストライキの禁止)が適用され、騒擾罪の適用はされていません。
管理者は、街頭の騒動(前記『防長新聞』「米穀商を襲ひ」)がありますので、労働争議とはせず、山口県の米騒動発生地に含めています。
2022.2.23
《ふく延縄(はえなわ)漁発祥の地・粭島》(クリック・外部リンク・粭島のふぐの紹介記事)
山口県の県魚は「ふぐ」(「ふく」(福)ともいう)。粭島周辺の瀬戸内海は最高級フグの漁場です。明治10年ころ、粭島の高松伊予作が延縄漁法を考案したとされる。さらに改良された漁具と漁法は県内外に伝授され、ふぐは下関に水揚げされ、今日の隆盛をみた。(粭島『ふく漁発祥の地』由来碑・以下の画像)
粭島の海士(あま。海人(あま)のうち男性を指す)は、北洋や中国近海に出漁して進取の気に富み、波浪の中をふぐをつり上げ、延縄の漁具と漁法を考案し、教えを請う人に惜しみなく漁法を伝授して共存共栄の精神に富んでいた。今日の下関を中心とするふぐ隆盛の魁(さきがけ)となった粭島島人の気風に、我々は学ぶべき点が多いのではなかろうか。
2019.11.11に画像と説明を追加しました。