グーグルマイマップ上に管理者が三谷駅(製材所職工)に赤色、篠目駅(集団)に緑色のピンを置く。
篠生村では、「騒擾事件調査表」に記載された検事処分者は出ていません。
以下の新聞記事に記載されているように、三谷駅付近と篠目駅付近に集団があり、分署長の「慰諭」により騒擾は未然に防止されました。
『米騒動の研究』の類型の米廉売要求の「集会」に近い集合がありましたので、米騒動発生地としました。
≪防長新聞大正7年8月23日≫「●篠生一時危檢 ▽有志大會の廉賣▽にて漸く鎮静す」。要約。
篠生村細野方面に「不穏の形勢」があり、19日午前中生雲(いくも)分署長は三谷駅製材工場で職工全員を集合させて訓戒。さらに篠目駅付近の密集団体に乗り込み、密集団体は散会。分署長は同村有志者村会に臨み、17名の有志者より米27俵を提供し、21日より30日まで精米1升32銭、玄米1升30銭で細民に廉売。
≪關門日日新聞大正7年8月24日≫「●篠生村の不穏 未然に鎮定さる」。一部。
「阿武郡篠生村にては去る十九日朝来三谷及篠生附近にて多少の集團出没形勢不穏の報に接せる廣政生雲分署長は急據同村に出張三谷驛前〇川製材所及篠目駅附近の集團に対し百方慰諭の結果騒擾はこれを未前に防止したるも」