富海村

管理者がグーグルマイマップで作成。青色のピンは集合場所。

展開

山口県報告

 アジア歴史資料センターB08090136700『大正七年七月ニ於ケル米騒擾ニ関スル件』。史料中の茶色の輪郭は管理者が付けた。

 史料中の「佐波郡豊野村」は「富海村」の誤り。佐波郡内及び山口県内に豊野村は存在しない。「豊野村」の誤記は、他の史料中にも各所にみられる。

『米騒動の研究 第五巻』430頁。「追加 佐波郡豊野村(八月一五日)..「(警視庁「紛擾状況」)」の記載がある。「佐波郡富海村」を「豊野村」と誤記した史料を引用したとみられる。 

 史料の「同村神社境内」は國津姫明神社境内。同社境内に海月(くらげ)除災を名目に集合した。

 

司法

検挙

『馬関毎日新聞』大正7年9月4日。「●富海騒擾残党の大検挙」。記事略。

『防長新聞』大正7年9月14日。「●煽動部長 ▽富海村騒擾事件の▽裏に潜む巡査部長

14日夜の暴動前の14日朝、巡査部長は暴徒の首魁方で同席者の面前で「少々本腰でやらなくては解決がつかぬ」と口をすべらし、翌日には騒擾の疑いのある漁民と酒を酌み交わし「よく遣った」との口吻を漏らした風評が伝わり、去る10日依願退職した。

騒擾事件調査票

 国立公文書館アジア歴史資料センター「米価問題に付騒擾の件2止(14)」(レファレンスコードc08021485500)の「騒擾事件調査票」55~82ページ(番号1527~1554)。次の表は、この史料の中の「騒擾犯人身位別表」(70ページ)です。

 山口県内の騒擾事件で検事処分を受けた人数は、①宇部村、②安下庄(あげのしょう)町、③向津具(むかつく)村、④富海(とのみ)村(22名)、⑤須恵村、⑥八坂(やさか)村、⑦太華(たいか)村、⑨出雲(いずも)村、⑩中関(なかのせき)村の順です。職業別では、米の消費者の鉱夫、漁業従事者が多く、米価高騰が契機となって賃上げや廉売・寄付金要求の騒動が発生しました。

2022.12.21更新

裁判

『馬關毎日新聞』大正7年10月23日。「富海村米騒動 豫審決定==有罪二十二名」(有罪22名は21名の誤り・・1名は免訴放免)。要約。

8月15日夜。米価暴騰、不漁、廉売にもかかわらず居村富豪らは顧みず。伴助、亮一、松助、千代藏、乙之介等は憤慨、海月除祭(くらげじょさい)に多数の部落民を集め、米の廉売又は廉米の寄付を為さんとし、居村氏神の國津姫明神で海月除災を為すため同神社に集合すべき旨布れ廻り、15日夜9時頃200名を集め、金満家に出金、米屋に廉売を求め、富豪が村役場に集まっているのを聞き、300人余で押し寄せる途中、説得にあたった村長を割木で殴打し左眼に疾病休業七日間の創傷を負わす。役場に上がり、富豪に内地米1升25銭、外地米1升15銭の廉売、〇〇郁蔵から1000円、〇〇〇諭一、〇〇友太郎から250円を出金させ、17日より廉売を実行させる。

首魁5名。指揮・助勢16名(内傷害罪との観念的競合1名)。その他1名。

 

大正7年10月21日

山口地方裁判所

豫審判事代理

判事 福地孫市

 

『關門日日新聞』大正7年10月23日。「●富豪を威嚇亂暴せる 富海の騒擾事件 豫審一名免訴となり二十名は悉く有罪となる」(20名は21名の誤り)。要約。

飲食店業50代1名。新聞記者30代1名。漁業16名(30代9名。40代5名。50代2名)。漁業兼農50代1名。漁業兼自転車商20代1名。大工職30代1名。以上21名有罪。

「▲主文 本件被告〇〇〇〇〇(註・農60代)を免訴且つ放免し其他の被告事件を當地方裁判所の公判に附す」

『防長新聞』大正7年10月23日。「●富海村暴徒豫審」。一部抜粋。

22名のうち21名を公判に付す。居村の富豪の「◆冷淡に憤激し...◆此急場を救濟...◆同村役場に聚...◆金一萬圓出金...◆内地米は一升一五銭外國米は一升十五銭に廉賣すべき旨承諾せしめて〇〇より金一千圓〇〇〇〇〇より各二百五十圓を各出金せしめ同月十七日より右廉賣の實行を菜為しめたるものなり」

 

『防長新聞』大正7年12月27日。「●富海村の 米騒擾判決」。要約

20代1名。30代11名。40代5名。50代4名。60代1名。

飲食店業1名。新聞記者1名。漁業16名。漁業兼農1名。漁業兼自転車商1名。大工職1名。農1名。

判決・懲役3年1名。懲役1年6月1名。懲役1年2名。懲役10月2名。懲役8月2名。懲役6月8名。罰金30円5名。不明1名(無罪か有罪か記事からは不明)。

 

集合地・國津姫神社

佐波郡富海村國津姫宮神社境内(管理者撮影以下4画像)
佐波郡富海村國津姫宮神社境内(管理者撮影以下4画像)
漁港の鳥居。神社の正面。
漁港の鳥居。神社の正面。
付近の漁港
付近の漁港

周辺の風景

富海の旧跡

旧山陽道・富海本陣跡の門。薩摩・天璋院篤姫が江戸へ向かう途中休憩した。
旧山陽道・富海本陣跡の門。薩摩・天璋院篤姫が江戸へ向かう途中休憩した。