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萩町では、15日夜の萩町住民による騒動と16日夜の山田村民が萩町に押し出した騒動があった。
「米騒動と萩」257頁
「十六日には山田村民四〇〇人が萩町に押し寄せ、米屋に安売りを強要しようとしたが、大事に至らず同夜解散した。」
≪大阪朝日新聞大正7年8月19日朝刊7面≫「▼萩町」
「十五日夜九時志都岐公園に參集せる町民九百餘名ありしが岩城署長救済の方法を徹底すべく説示せる爲十一時頃解散せり翌十六日夜山田村の村民二百餘名萩町へ押かけたるも大事に至らず(山口電報)」
≪防長新聞大正7年8月20日≫「●縣内の騒動...△萩町」。
「柳井小串の騒動納まりたる十五日夜九時二百名程志都岐神社境内に集まり何等か示威運動を試みんとしたるも萩署の尽力にて解散し次で十六日には四百名程の山田村民が萩町に押し寄せ来り米商に対し安売を強要せんとしたるが之も大事に至らずして同夜直ちに解散せり」
以下の、アジ歴「大正七年七月ニ於ケル米騒擾二関スル報告」B 08090136900(外務省)に、
「(8月16日午後)九時三十分頃阿武郡萩町ニ於テ〇〇〇〇〇約二百名富豪ヲ襲ハントノ風説ヲナセシヲ所轄署長ニ於テ探知シ懇諭ノ結果無事退散シタリ」とある。
山田村の村民が萩町に押し出した報告とみられる。
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