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国立公文書館アジア歴史資料センター「米価問題に付騒擾の件2止(9)」(レファレンスコードc08021485000)。
8月21日報告。
≪『馬關毎日新聞』大正7年8月25日≫「●大津郡向津具村 不穏の模様 目下警戒中」。要約。
大津郡向津具村〇〇では17日に暴民が蜂起して6、7町離れた〇〇支店に押しかけ、戸障子其の他を破壊し、人丸分署長と応援の深川警察署巡査数名によって鎮撫し解散した。21日また集会の報があり、人丸分署長が深川警察署巡査数名と〇〇〇駐在所に着き警戒に当たった。又、20日の夜、同郡日置村〇〇で不穏の模様があり、人丸分署長が出張警戒して無事だった。
国立公文書館アジア歴史資料センター「米価問題に付騒擾の件2止(14)」(レファレンスコードc08021485500)の「騒擾事件調査票」55~82ページ(番号1527~1554)。次の表は、この史料の中の「騒擾犯人身位別表」(70ページ)です。
山口県内の騒擾事件で検事処分を受けた人数は、①宇部村、②安下庄(あげのしょう)町、③向津具(むかつく)村(37名)、④富海(とのみ)村、⑤須恵村、⑥八坂(やさか)村、⑦太華(たいか)村、⑨出雲(いずも)村、⑩中関(なかのせき)村の順です。職業別では、米の消費者の鉱夫、漁業従事者が多く、米価高騰が契機となって賃上げや廉売・寄付金要求の騒動が発生しました。
2022.12.21更新
〇8月17日騒動
『馬關毎日新聞』大正7年11月1日。「●向津具村の米暴動=三十一名に對する豫審決定」。要約、「」は引用。
「同地の暴動は未だ其の詳細が世に傳わり居らず此の決定書を見るときは随分騒擾を極めたるものゝ如し」。
10代1名。20代12名。30代7名。40代7名。50代4名。
漁業20名。船乗3名。海産物製造1名。理髪業1名。醤油製造1名。農1名。畳職1名。大工職1名。材木商1名。宿屋業1名。
10月30日予審終結決定。
騒擾27名(内数・建造物損壊7名。恐喝6名)を公判に付し、4名釈放。
米価が高騰し払底したのは〇〇らが利益を独り占めするためだと反感を持っていた。8月17日、〇〇〇にいた搗布(カジメ)刈海士(あま)船々頭二三十名は風浪が激しくカジメの採取ができず、そこで米価の騰貴、払底が話題となった。〇〇漁業組合役員の緩慢なる処置を非難し、白米商米船業者の所為を攻撃するなど不満を洩らした。被告の中に、機逸すべからずとして、船頭らに神戸小串其の他各地の米騒動の状況を告げ、〇〇らを攻撃して米騒動を起こし〇〇〇の〇〇方に押し寄せるよう扇動した。煽動した被告の中の二人はさらに部落内の〇〇〇に至り、沖の様子をみていた搗布刈海士船船頭ら二〇余名を煽動したため、〇〇〇の船頭と〇〇〇の船頭が両方魚市場に集まった。煽動した被告は、鐘がなったら一戸一名必ず参集するよう部落内を触れ歩いた上で、消防事務所の警鐘及び〇〇〇の鐘を乱打し、部落の200名を魚市場に集合させた。群集中より、漁業組合役員に談判して米の購入を促すべしと主張し、米船を襲撃すべしと呼ばはり、〇〇に押寄すべしと怒号して険悪の状を呈するようになった。
『馬關毎日新聞』大正7年11月3日。「●殺しても懲役には行かぬ 向津具米騒動事件 三十一名の豫審決定(續)」。要約。
被告Aは〇〇方を襲撃、破壊し、群集に「遣つけやれ遣つけやれ」と煽動助勢した。被告Bは群集と共に〇〇方に押し寄せて先頭に立ち、「遣ツちやれ遣ツちやれ今度遣らねば遣る時は無い」とよばわり雨戸をこわして率先助勢した。被告C(19歳)は〇〇方入口の雨戸を木片にて打ち叩き擲石して雨戸を破壊し、群集に対し「此れ位は我々青年會の悪者同志で遣つてやる」と呼ばはり率先助勢した。被告Dは〇〇方の雨戸を破壊し、酒瓶を群集に示して「酒だ、酒だ」と呼ばはり、菓子罐を外に投げ出して率先助勢した。被告Eは「〇〇に行かう〇〇に行けば酒も飲める、菓子も食へる五人や六人殺しても懲役に行くことはない」と放言し、群集に先頭して〇〇方に押し寄せて率先助勢した。他の被告の記事は略。