国立公文書館アジア歴史資料センター「米価問題に付騒擾の件2止(14)」(レファレンスコードc08021485500)の「騒擾事件調査票」55~82ページ(番号1527~1554)。次の表は、この史料の中の「騒擾犯人身位別表」(70ページ)です。
〈8月27日恐喝事件〉
『馬關毎日新聞』大正7年12月13日。「俵山米暴動の豫審決定 △公判に移さる」。要約。
米暴動恐喝被告事件。宿屋業30代1名。硫酸会社職工30代1名。農兼米穀商40代1名。
山口地方裁判所で去る7日予審決定。
8月27日、米価高騰及び米払底の救済策として数日前に村会にて白米商が持米者より米を買取り一般需要者に供給することとなった。当時の相場は玄米15円以上であったが、農民の持米は1俵12円50銭、仲買商の持米は13円にて買い取ることを協定した。3名は居村〇町温泉宿屋業者の為、〇〇部落の数件において協定値段での売却を要求して恐喝し、時価以下で持米を廉売させた。
『馬關毎日新聞』大正8年2月20日「●俵山米騒動公判」
18日山口地方裁判所午前10時篠原裁判長。
懲役8月2名(30代)、懲役6月3ヶ年執行猶豫1名(40代)の言渡。
古くからの湯治場で、温泉番付表では西の横綱ないし大関にランクされています。