明治22年(1889)、町村制により、上田万村、下田万村、江崎村の区域が田万崎村となる。
昭和15年(1940)、田万崎村が町制施行し江崎町に改称する。
昭和30年(1955)、江崎町と小川村が合併し、田万川町となる。
平成17年(2005)、萩市などと合併し、萩市となる。
以下の「騒擾事件調査票」で「田萬崎村」(多万崎村)は「騒擾地」とされ、「検事処分人員」が3名あったと記録されている。当HPでは「騒擾事件調査票」の記載地は米騒動発生地とした。
以下の新聞記事に、鐘を乱打した酔漢の記載があるが、それだけでなく、3名が検事処分されているので、かなりの規模の米騒動があったと推察される。
国立公文書館アジア歴史資料センター「米価問題に付騒擾の件2止(14)」(レファレンスコードc08021485500)の「騒擾事件調査票」55~82ページ(番号1527~1554)。次の表は、この史料の中の「騒擾犯人身位別表」(70ページ)です。
≪防長新聞大正7年8月27日≫「●阿北の暴動▽各村に起りたるも▽大事に至らで鎮静」。要約。
田万崎村では一酔漢が多数を集合させる目的で鐘を乱打し取り押さえられ、目下須佐分署で厳重取調中。