小串村

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8月13日夜。小串村と柳井町で県内はじめての米商襲撃

13日夜集合場所・・駅通り(四五百名)。川中神社(四五十名あるいは二百名・解散)

新聞報道

≪馬關毎日新聞大正7年8月15日≫「▲小串村にも」。柳井町と小串村の騒動を併せた記事。

「近時不漁の為め困難し居る矢先突然米價暴騰せしより縣下北浦の漁村は何れも疲弊の有様なりしが各地の米屋征伐が一度傳はるや人心興奮し十三日夜九時過ぎ豊浦郡小串浦の漁夫四五百名は期せずして驛通りに集合し同地に於て白米を買占め居る〇〇商店を襲ひ先づ一升四十銭を二十七銭にせよと談判せしも應ぜざるより手當り次第戸障子を打破り益々暴行を逞しふせんとするより警官多數出張し村役場よりも出張して一先づ解散せしめ村役場にては直ちに村會を開き村費を以て二十七銭に賣却する事を決議せしも之を聞きたる漁民は村費は頓て各自の頭にかゝるとてその決議に反對し今朝来引続き集會し益々不穏の状況なり」。

 

≪防長新聞大正7年8月15日≫「●小串の一揆▽群集米商を襲わん▽として辛く中止す」。要約、「」は引用。

「豊浦郡小串村に於て十三日夜晩く村内の漁業者四五十名川中神社に集合し米価の暴騰に対し相率ゐて米商某方に直接談判を行はんとする気配の穏やかならざるを見て取りたる」警察署長が現場に駆けつけて、村長と打ち合わせて相当の措置をとることを訓告したため、一同はそのまま解散した。村長は即夜臨時村会を開き、十四日朝六時に閉会し、役場にて玄米二十俵を升二十七銭で分売し、不足分は村費で補うこととなった。

 

≪防長新聞大正7年8月20日≫「●県内の騒動△小串村」。 

「豊浦郡小串村に十三日夜漁民の一群が米商を襲ふべしとて形勢不穏なりしを村当局の仲裁にて一時解散したる事は同夜の柳井事件と共に当時詳報せる通りなるか翌十四日夜は四百名程の群集村内を練り廻りて稍不穏の行動を演せるも其後は無事なり」。

山口県報告

アジア歴史資料センターB08090136700『大正七年七月ニ於ケル米騒擾ニ関スル件』≪山口県知事電報≫8月13日・14日山口県報告。茶色の輪郭は管理者が付けた。

 


司法

検挙

『馬関毎日新聞』大正7年11月6日。「●小串の米騒擾検擧さる」。抜粋。

「四名檢擧の上三日一件書類を檢事局に送らる」。

騒擾事件調査票

国立公文書館アジア歴史資料センター「米価問題に付騒擾の件2止(14)」(レファレンスコードc08021485500)の「騒擾事件調査票」55~82ページ(番号1527~1554)。次の表は、この史料の中の「騒擾犯人身位別表」(70ページ)です。

集合地・川中神社と周辺の風景

川中神社・豊浦郡小串村(管理者撮影以下3画像)
川中神社・豊浦郡小串村(管理者撮影以下3画像)
川中神社境内
川中神社境内
小串漁港
小串漁港