宇部の米騒動研究(史料・文献)

史料

〇裁判

  • 『大正九年 刑事裁判原本綴  山口地方裁判所検事局(山口地方検察庁保存)・・・宇部村騒擾事件の一審・控訴審・大審院判決。開示申請による閲覧のみ可。複写不許可。判決書(裁判書)綴りのみ保管されており、膨大であった裁判記録は残されていない(係官の説明)。

    『米騒動記』の中に、高野義祐が筆写した「大正九年刑事裁判原本(甲)」(山口地方検察庁所蔵)が所収されている布引敏雄と管理者は、原本と高野の筆写を対校し、正確に筆写されていることを確認した。

    高野は筆写を認められているのだから、現在、山口地方検察庁が複写、メモを認めないことは不当ではなかろうか。

  • 『細川嘉六集藏 京都大学人文科学研究所編 米騒動史料 山口県1 』 (三)に「宇部村騒擾事件豫審終結決定」と「安下庄町騒擾事件予審終結決定」の筆写資料がある。この史料にはほかに、「(一)生活状況」の中に山口県の米騒動に関連した新聞記事、「(二)騒擾経過」「山口縣宇部炭坑夫の暴動参加記」(『米騒動の研究』第四巻では「Y君参加記」として引用)が綴じられている。「Y君参加記」の史料価値は低いと考える。

  • 山口県内で発行された『防長新聞』、『馬關毎日新聞』、『關門日日新聞』、『宇部時報』に宇部村騒擾事件関係の予審、一審判決の記事が多数ある。

〇新聞(宇部の米騒動を記載した主な新聞)

≪地域紙≫

  • 『宇部時報』 週刊(宇部市立図書館所蔵)・・宇部の米騒動詳細記事あり。(目撃取材記事。発砲当時の社屋は宇部分署隣。軍隊の発砲現場は社屋前)
  • 『馬關毎日新聞』 夕刊(山口県立山口図書館所蔵)・・宇部の米騒動詳細記事あり。(特派員が軍隊発砲時ころ現地に到着し、それ以降に取材した記事)
  • 『防長新聞』 日刊(同上)・・宇部の米騒動詳細記事あり。(特派員が軍隊発砲翌日に現地に到着し取材した記事)
  • 『關門日日新聞』 朝刊・夕刊(同上)。  

(以上は所蔵図書館で複写本が複写できます) 

 

≪代表的全国紙≫(以下の新聞以外にも、ほとんどの新聞に宇部村の米騒動の記載があります。)

  • 『大阪朝日新聞』 (朝日新聞デジタルアーカイブ『聞蔵Ⅱ』→2022年春『朝日新聞クロスサーチ』)(山口県立山口図書館で閲覧し印刷できます。下関市立中央図書館では『聞蔵Ⅱ』の閲覧ができますが印刷はできません)・・宇部の米騒動の記事は大阪朝日新聞が山口電話・山口電報、東京電話等による情報により記事化しており、直接現地取材した記事ではありません。記事には誤りがあり、注意が必要です。
  • 『大阪毎日新聞』 (山口県内の公立図書館では大正時代の新聞を閲覧することはできません。国会図書館等の図書館で閲覧できます)・・大阪毎日新聞が山口來電により記事にしています。記事に信頼性はありませんので、注意が必要です。
  • 『読売新聞』 (『ヨミダス歴史館』)(山口県立山口図書館・萩市立図書館などで閲覧し印刷もできます)・・全国の米騒動記事はありますが、宇部の米騒動に関する記事はほとんどありません。

≪参考・・新聞デジタルアーカイブ。バックナンバー≫

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『法律新聞』 山口県内では東亞経済研究所(山口大学経済学部)の書庫にあります。米騒動当時の騒擾事件、厳罰主義等に関する論説があります。

〇陸軍・海軍・外務省

  • 『陸軍省大日記 大日記乙輯 大正8年』「米価騰貴に基づく各地騒擾の件」 (防衛省防衛研究所所蔵)。国立公文書館アジア歴史資料センター Ref.C03011253500。山口衛戍司令官、憲兵司令官の報告。
  • 『海軍省 大正8年公文備考 騒乱2止 巻120』「米価問題ニ付騒擾ノ件2止」(1)~(14) (防衛省防衛研究所所蔵)。アジア歴史資料センター Ref.C08021485500。山口県の状況、山口県知事電報。
  • 『海軍省 大正8年公文備考 騒乱1 巻119』「米価問題ニ付騒擾の件1」山口県の米騒動に関する2つの県知事電報。

  アジ歴のデジタルアーカイブはモノクロ画像ですが、防衛研究所の原本の綴りの史料は、職印は朱色であり、青字や赤字で記載された部分などもあってモノクロではありません。              

  • 帝国に於ける暴動関係雑件第二巻 『大正七年七月ニ於ケル米騒擾ニ関スル報告』 (外務省外交史料館)。アジア歴史資料センター Ref.B08090136700。分割1「米価問題ニ関スル各府縣紛擾状況」(其ノ一から其ノ四)。・・山口県の状況。分割2・・山口縣知事報告あり。分割3・・山口縣知事電報あり。分割4・・山口縣知事電報あり。アジ歴のデジタルアーカイブにはこの史料の画像番号が付けてありますが、外交資料館の原本の綴りにはページ番号は付されていません。

(参考)アジア歴史資料センター(JACAR)の史料は、A・B・Cから始まる11桁のレファレンスコード(Ref)で表記されています。A~Cは以下が所蔵しています。(以下をクリックするとHPにリンクします)

A 国立公文書館

B 外務省外交史料館

C 防衛省防衛研究所 

国立公文書館(東京都千代田区北の丸公園)。館内の史料・展示物の撮影ができます。管理者撮影。
国立公文書館(東京都千代田区北の丸公園)。館内の史料・展示物の撮影ができます。管理者撮影。
外交史料館(東京都港区麻布台)。別館に展示があります。管理者撮影。
外交史料館(東京都港区麻布台)。別館に展示があります。管理者撮影。
防衛省防衛研究所(東京都新宿区市谷本村・防衛省内)。2016年に世田谷区の防衛装備庁内から移転しました。資料閲覧室は加賀門横の通用口(画像)から入館します。顔写真つきの身分証明書が必要です。セキュリティが厳しく敷地内の撮影は禁止です。史料の多くは30分以内でデジカメ・携帯で撮影できます。管理者撮影。
防衛省防衛研究所(東京都新宿区市谷本村・防衛省内)。2016年に世田谷区の防衛装備庁内から移転しました。資料閲覧室は加賀門横の通用口(画像)から入館します。顔写真つきの身分証明書が必要です。セキュリティが厳しく敷地内の撮影は禁止です。史料の多くは30分以内でデジカメ・携帯で撮影できます。管理者撮影。

〇日記・自伝・伝記

  • 弓削達勝編『素行渡邊祐策翁(乾)』 渡邊翁記念事業委員会1936年。(渡邊祐策は、米騒動時に、沖ノ山炭鉱頭取、第二沖ノ山炭鉱頭取、宇部鉱業組合組合長、衆議院議員で、企業家の代表でした。)米騒動の記載だけでなく、米騒動の背景となった炭鉱労資関係の記載があります。
  • 紀藤閑之介翁米寿祝賀記念会『米寿紀藤閑之介翁』1957年。(紀藤閑之介は、米騒動時に、宇部村農会会長、宇部産業組合組合長、財団法人宇部共同義会会長、宇部時報社主、村会議員で、地主の代表でした。)米騒動の体験が簡潔に記されています。
  • 伊藤勝正『炭塵とともにー宇部炭田物語ー』ウベニチ新聞、1970年。体験にもとづいて記述されています。

文献

〇図書

  • 高野義祐『米騒動記』米騒動四十周年記念刊行会1959年。宇部の米騒動の経過を記した基本文献ですが、典拠の記載はなく伝聞によるものが含まれると考えられますので、事実であるかどうかは確認しなければなりません。ただし、末尾に所収されている宇部村騒擾事件(宇部の米騒動)の一審判決書の一部(判決理由と証言)は高野が正確に筆写しており、史料価値が高い貴重なものです。

    『米騒動記』の中に、高野義祐が筆写した「大正九年刑事裁判原本(甲)」(山口地方検察庁所蔵)が所収されている布引敏雄と管理者は、原本と高野の筆写を対校し、正確に筆写されていることを確認した。高野は筆写を認められているのだから、現在、山口地方検察庁が複写、メモを認めないことは不当ではなかろうか。

  • 井上清・渡部徹編『米騒動の研究』第一巻~第五巻(山口県及び宇部村は第四巻に記載。第五巻430-432に補遺)1959~62年。一部に誤記がありますが、山口県の米騒動研究の出発点になる文献です。

  • 『宇部市史』通史編下巻1993年。旧版と新版があり、新版に当時の研究に基づく詳しい記載がありますが、研究書ではありません。(例えば、新版の鉱夫がダイナマイトを準備したという記載は、「陸軍の報告」→検事吉河光貞「所謂米騒動の研究」→井上清・渡部徹「米騒動の研究」の孫引きになっており、しかも事実ではないと考えられます。)
  • 『山口県史 史料編 近代3』山口県史編さん室 2008年。史料編は充実しています。
  • 『山口県史 通史編 近代』に宇部の米騒動の記載がありますが、誤記が多く含まれ検証が必要です。また、当該箇所に差別用語が記載されていたため回収され、訂正再配布されました。
  • 『山口県警察史』上巻1978年。宇部の米騒動に関する記載に、治安当局側からの視点が強くなっています。この文献が発刊された後の論文、市史には、この文献の記載内容の検証なしにそのまま歴史的事実として引用したものがあり、山口県の米騒動研究に混乱をもたらした面があります。例えば、宇部警察分署に仲間の釈放を要求して押しかけた鉱夫が短銃を発射したという記述は捏造とみられます。
  • 『山口県政史』(上)1971年。概説的な記述です。
  • 歴史教育者協議会編・井本三夫監修『図説 米騒動と民主主義の発展』2004年。全国の米騒動の最新の研究成果です。宇部と山口県の米騒動は日野綏彦が執筆しています。山口県に関しては発生地の掘り起こしが不足していると考えます。宇部の米騒動における軍隊の発砲に関して、鉱夫が爆弾を投げたから発砲したという『大阪朝日新聞』『報知新聞』『東京朝日新聞』三紙の記載を「ウソ」と指摘しています。

 

〇論文

  • 日野綏彦「宇部の米騒動」『宇部地方史研究』第12号 1984年。宇部の米騒動が概観できます。『山口県警察史』に掲載された史料の検討がされずに引用されている。
  • 井竿富雄「シベリア出兵と宇部の米騒動」『山口県立大学國際文化學部紀要』(10)2004年。シベリア出兵との連関の視点がある。引用史料が少なく、宇部や山口県の米騒動の掘り下げが必要と考える。

≪管理者論文≫

〇史料紹介

  • 木京睦人「陸軍省記録にみる大正七年宇部の「米騒動」について」『山口県地方史研究』第99号2008年。(『陸軍省大日記 大日記乙輯 大正8年』「米価騰貴に基づく各地騒擾の件」国立公文書館アジア歴史資料センター C03011253500 の紹介)

  木京の史料紹介は、「米価騰貴に基づく各地騒擾の件」の史料中の山口衛戍司令官の8月25日の詳報という報告書を全文掲載したものである。木京は、宇部の米騒動の裁判記録がまとめられたのは暴動発生から2年後であるのに対し、この報告書が暴動発生時と同時期の記録であるので貴重と考えている。しかし、その観点では、軍隊側の視点からの歴史認識に陥り、鉱夫側の視点が欠如することにならないか検討すべきであろう。裁判史料には、鉱夫や第三者の証言などの記載があり、その記載は必ずしも陸軍の報告書と一致していない。客観的に宇部の米騒動を見るためには陸軍の報告書の検証が必要と考える。

 

このページの最終更新 2020.9.16 2022.3.16